うつ病…「こんなサインを出してないですか??」
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今日、うつ病の本を買いました。
うつって病気を少しでも理解すれば怖くないのかもしれない。
私がうつ病の本を読んで勉強になった事を紹介します。
参考にしてくださいね。
最初に家族の方へ。
『うつの兆候をあなどらない』
これは『うつ病』なのだろうか…。それを見極めるのは、家族やごく身近な人にとってもきわめて難しいことです。最初のうちは、本人の異状に気づくことも、異状を異状として認識することも、何らかの行動を起こすこともなかなかできません。
まず、家族には長い時間の蓄積がありますから、『本人をよく知っている』という思い込みがあります。たとえ仲があまりよくない場合でも、ごく基本的な愛情や信頼はあるものですから、本来は異状と判断すべきことがあっても、『今の世の中ではよくあること』『些細なこと』だと切り捨ててしまうことが多いでしょう。
愛情が深ければなえさら、異状に気づいても、それは一時的な、ごく小さな逸脱だと思うでしょう。
それは、おかしなことでも迂闊なことでもありません。人間はブレながら生きているものです。
日々の小さなブレをすべて重大な異状と捉え、すぐ『うつ病』に結びつけてしまうほうが、よほどおかしなことです。
けれども、うつも心理的にも、身体的にも、人間関係的にも、ダメージのある状態です。
ですから家族や身近な人々は、そのサインを見逃してはいけません。
うつ病はまず、本人にとっては『やる気がでない』『無気力』、あるいは『疲れやすい』という形で現れてきます。
しかし多くの場合、『いつものスランプ状態だ』『疲れがたまっただけだ』、あるいは『自分に怠け癖が出てきた』『だらしなくなった』といった見方をして、そのようなうつ病の兆候を見落としてしまうものです。
そして、無理をして頑張って、更にうつ病の状態を悪化させていくのです。
この章では、うつ病に陥っている人の、日常生活で見られる客観的な兆候や症状について解説します。
『はじめに』で、示唆したように、うつ病の症状は『心』『からだ』『生活』に分けていくと捉えやすくなります。
そこで、それぞれの側面において、どのようなことが起きてくるのかを解説していきましょう。
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物事への意欲が衰えていないか?…
まずは、『心』に起きてくることから見ていきましょう。
うつ病の症状で最も顕著なのが、『意欲(気力)の喪失です。
すべてが億劫になるので、家族や身近な人々にとって、比較的兆候を捉えやすいと思います。
『外での食事に誘ってもめったに応じない』
『親しい友人に久しぶりに会おうと誘われても、断ってばかりいるようだ』
『掃除を始めたので喜んでいたら、途中で投げ出してしまった』
『今日はどんな料理を作るか、カレーにするかシチューにするかといったどちらでもいいようなことでも(これは、後述する『判断力の低下』のせいでもあります)決められず、いつまでも座って考え込んでいる』…
意欲、気力の喪失に伴い、動作も全体としてのろのろした鈍い動きになります。
否定的な言葉を口にしていないか
鬱病の症状は、「気分の落ち込み」です。
「気分が酷く落ち込んでないかどうか」が、一つの目安になります。
しかし、気分は人の心の中のものなので、周囲の人は推し量ることしか出来ません。
また、たとえば「ほほえみ鬱」とよばれるように、誰かといるときはとても明るく振る舞ううつもあります。
「気分の落ち込み」という言葉だけでは、なかなか鬱病を見極められません。
ちなみに「気分」というのは、「感情」とほぼ同じ意味です。ですから「気分が落ち込んだ」「気分が沈んでいる」「抑うつ気分」というのは、「憂鬱感や物かなしさ(という感情)を感じる」ことです。
憂鬱感、物悲しさなどという感情は、その人しか実感しないものですから、鬱病を示す客観的な兆候にはなりえませんが、症状がある程度重くなると、本人がそういう感情を表す言葉をふと口にすることがあります。
例えばこんな言い方です。
「一人でいるとなんとなく寂しくて」
「気がくさくさする」
「よく涙がでる。なんとなく物悲しくなって・・・」
「何をやっても、何をしても、おもしろくない」
鬱や鬱病傾向のある人は、自分や周囲や社会に対して「否定的な考え方」をします。
否定的な考え方は、憂鬱感などと絡み合って、自己卑下感や自分の将来などへの漠然とした不安感、焦燥感といった感情をかきたてます。
「自分がつまらなく思える」
「どうせ俺(私)は○○だから」
「これから良いことなんて何一つない」
こんな言い方が出てきたら、否定的な考え方が、否定的な感情を強めている印です。
不安感や焦燥感などの否定的な感情は、特にイライラした態度として外部に表れることもあります。
一般的に知られている鬱病のイメージには合いませんが、症状がまだ軽い時や、最も酷い時期を脱したときなどに現れがちな現象です。
そのため、家族や身近な人に対して、「誰も俺(私)のことを本当には心配してくれてない」などの、ある意味で攻撃的な、責める言葉を吐くこともあります。
このように、鬱病になると否定的に考えるようになったり、(老年期の鬱病に特徴的なのですが)根拠のない考えに捕らわれて妄想が現れたり、という変化が起きるものです。
そして、鬱に陥ったときの感情の変化は、表情や姿勢、話し方、声などの変化としても、外部に表れます。ただ、もとは非常に明るくて表情も豊かだったような人の場合を除いて、残念ながら誰でもその変化を感じ取れるわけではありません。
これからも、私が読んでいるこの本のためになる部分を書いていこうと思います。
おやすみなさい☆彡
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今日、うつ病の本を買いました。
うつって病気を少しでも理解すれば怖くないのかもしれない。
私がうつ病の本を読んで勉強になった事を紹介します。
参考にしてくださいね。
最初に家族の方へ。
『うつの兆候をあなどらない』
これは『うつ病』なのだろうか…。それを見極めるのは、家族やごく身近な人にとってもきわめて難しいことです。最初のうちは、本人の異状に気づくことも、異状を異状として認識することも、何らかの行動を起こすこともなかなかできません。
まず、家族には長い時間の蓄積がありますから、『本人をよく知っている』という思い込みがあります。たとえ仲があまりよくない場合でも、ごく基本的な愛情や信頼はあるものですから、本来は異状と判断すべきことがあっても、『今の世の中ではよくあること』『些細なこと』だと切り捨ててしまうことが多いでしょう。
愛情が深ければなえさら、異状に気づいても、それは一時的な、ごく小さな逸脱だと思うでしょう。
それは、おかしなことでも迂闊なことでもありません。人間はブレながら生きているものです。
日々の小さなブレをすべて重大な異状と捉え、すぐ『うつ病』に結びつけてしまうほうが、よほどおかしなことです。
けれども、うつも心理的にも、身体的にも、人間関係的にも、ダメージのある状態です。
ですから家族や身近な人々は、そのサインを見逃してはいけません。
うつ病はまず、本人にとっては『やる気がでない』『無気力』、あるいは『疲れやすい』という形で現れてきます。
しかし多くの場合、『いつものスランプ状態だ』『疲れがたまっただけだ』、あるいは『自分に怠け癖が出てきた』『だらしなくなった』といった見方をして、そのようなうつ病の兆候を見落としてしまうものです。
そして、無理をして頑張って、更にうつ病の状態を悪化させていくのです。
この章では、うつ病に陥っている人の、日常生活で見られる客観的な兆候や症状について解説します。
『はじめに』で、示唆したように、うつ病の症状は『心』『からだ』『生活』に分けていくと捉えやすくなります。
そこで、それぞれの側面において、どのようなことが起きてくるのかを解説していきましょう。
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物事への意欲が衰えていないか?…
まずは、『心』に起きてくることから見ていきましょう。
うつ病の症状で最も顕著なのが、『意欲(気力)の喪失です。
すべてが億劫になるので、家族や身近な人々にとって、比較的兆候を捉えやすいと思います。
『外での食事に誘ってもめったに応じない』
『親しい友人に久しぶりに会おうと誘われても、断ってばかりいるようだ』
『掃除を始めたので喜んでいたら、途中で投げ出してしまった』
『今日はどんな料理を作るか、カレーにするかシチューにするかといったどちらでもいいようなことでも(これは、後述する『判断力の低下』のせいでもあります)決められず、いつまでも座って考え込んでいる』…
意欲、気力の喪失に伴い、動作も全体としてのろのろした鈍い動きになります。
否定的な言葉を口にしていないか
鬱病の症状は、「気分の落ち込み」です。
「気分が酷く落ち込んでないかどうか」が、一つの目安になります。
しかし、気分は人の心の中のものなので、周囲の人は推し量ることしか出来ません。
また、たとえば「ほほえみ鬱」とよばれるように、誰かといるときはとても明るく振る舞ううつもあります。
「気分の落ち込み」という言葉だけでは、なかなか鬱病を見極められません。
ちなみに「気分」というのは、「感情」とほぼ同じ意味です。ですから「気分が落ち込んだ」「気分が沈んでいる」「抑うつ気分」というのは、「憂鬱感や物かなしさ(という感情)を感じる」ことです。
憂鬱感、物悲しさなどという感情は、その人しか実感しないものですから、鬱病を示す客観的な兆候にはなりえませんが、症状がある程度重くなると、本人がそういう感情を表す言葉をふと口にすることがあります。
例えばこんな言い方です。
「一人でいるとなんとなく寂しくて」
「気がくさくさする」
「よく涙がでる。なんとなく物悲しくなって・・・」
「何をやっても、何をしても、おもしろくない」
鬱や鬱病傾向のある人は、自分や周囲や社会に対して「否定的な考え方」をします。
否定的な考え方は、憂鬱感などと絡み合って、自己卑下感や自分の将来などへの漠然とした不安感、焦燥感といった感情をかきたてます。
「自分がつまらなく思える」
「どうせ俺(私)は○○だから」
「これから良いことなんて何一つない」
こんな言い方が出てきたら、否定的な考え方が、否定的な感情を強めている印です。
不安感や焦燥感などの否定的な感情は、特にイライラした態度として外部に表れることもあります。
一般的に知られている鬱病のイメージには合いませんが、症状がまだ軽い時や、最も酷い時期を脱したときなどに現れがちな現象です。
そのため、家族や身近な人に対して、「誰も俺(私)のことを本当には心配してくれてない」などの、ある意味で攻撃的な、責める言葉を吐くこともあります。
このように、鬱病になると否定的に考えるようになったり、(老年期の鬱病に特徴的なのですが)根拠のない考えに捕らわれて妄想が現れたり、という変化が起きるものです。
そして、鬱に陥ったときの感情の変化は、表情や姿勢、話し方、声などの変化としても、外部に表れます。ただ、もとは非常に明るくて表情も豊かだったような人の場合を除いて、残念ながら誰でもその変化を感じ取れるわけではありません。
これからも、私が読んでいるこの本のためになる部分を書いていこうと思います。
おやすみなさい☆彡
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2015-07-19 03:20
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